長崎 3つのオランダ坂 を見比べよう!
長崎 3つのオランダ坂 を見比べよう!
おんちゃス。
今回は長崎といえば、多くの皆様がパッと思いつく「オランダ坂」をご紹介したいと思います。
しかし「オランダ坂」は書籍を見たり、検索すればすぐに出てくるので、何で今更…って感じですが、実は長崎には「オランダ坂」と名の付く坂が3つあります。
なかなか時間を作って3つとも見に行こう!
って人は少ないと思いますので、一気にチェック出来るよう、まとめてみました。
そもそも「オランダ坂」って名称は
江戸時代、幕末、明治時代、長崎では欧米人を総称して「阿蘭陀人」と言ってたらしいです。
今で言う外国人…みたいなモンだと思います。
(最近はとりあえずインバウンド…って感じで一括りにされてるか!?)
そんな阿蘭陀人がよく行き来してたので「オランダ坂」になったと。
という事なので、別に深い意味はなく、オランダ人が作ったって訳でもありませんw
ここでは正式名称ではないんですが、区別しやすいように
東山手洋風住宅群のソバの坂は、東山手オランダ坂
そして花街・丸山にあるので丸山オランダ坂
と表記します。
それぞれの特色があって面白いですよ。
是非来崎される前に、どの「オランダ坂」を撮影しに行こうか、悩んで頂ければ幸いですw
順番は、大浦・石橋電停から回れる順番にしました。
では先ずは石橋電停からすぐの 東山手オランダ坂 です!
下から撮影。左のレンガも居留地時代のモノだと思います。また右の誠孝院さんの石垣も素晴らしい!
因みに左へ進むと「日栄湯」という創業100年以上の銭湯、そして孔子廟へ行けます。今も営業中ですよ♨
坂の途中から「東山手洋風住宅群」へ行けます。カフェ・レストランもありますよ。
上から撮影。う~ん、いい坂です! 白壁も当時のままだと思います。
では 東山手オランダ坂 の上からからそのまま進んで次の「オランダ坂」へ参りましょう!
因みに右奥に大浦天主堂と改修中のグラバー住宅が見えてます。
雨の石畳、素晴らしいですね。この分かれ道から右上へ進んでみましょう。蝶々さん坂や三角溝も見れますよ。
この右上に日本初プロテスタント教会があったそうです。そこに沢山のオランダさんが行ってたのでこの辺が「オランダ坂」と呼ばれる様になったらしいです。
そのまま上ると一番有名な「オランダ坂」、活水オランダ坂 です!
もう皆さまお馴染みですが、一番上からはなかなか見ないと思います。左右のレンガも居留地時代のままでしょう。
下から。
左には「東山手十二番館・ラッセル記念館」。1868年 明治元年頃建築、入館無料です!
さらに下へ。一番良く見るアングルです。モデルさんがいれば…って感じでしょうかw
下から撮影。正面は「東山手甲十三番館」、カフェになってます。
そのまま下りて右に行けば、中華街、思案橋、そして 丸山オランダ坂 へ行けますよ。
最後は 丸山オランダ坂 へ参りましょう。
少し歩きますが、十分徒歩圏内だと思います。
長崎一の繁華街、銅座・思案橋を通るので、見物がてらゆっくりどうぞ。
ではなぜ花街丸山に「オランダ坂」があるのか、案内板があったんで載せときます。
山口さん、ありがとうございました。
・丸山遊女が出島へ行くため、この坂を通ってた説
・オランダさんが西洋料理店へ行くために、この坂を通ってた説
の2つの説があるらしいんですが、ここでは皆さん、丸山遊女になったつもりで出島へお仕事…って体で参りましょう!
長崎検番から出発。
江戸時代はこの周辺に遊女、芸者小屋がたくさんあったそうです。当時の雰囲気がまだ残ってるので、少し歩いて回るのもオススメですよ。
正面の階段を上へ。左上は歴史ある有名料亭「青柳」さんです。
「青柳」さんの前から左へ。この辺から 丸山オランダ坂 って事らしいです。石畳が素晴らしいですね。
この通りに先程の説明があります。ビワがまた長崎らしくていいッスねw
突き当りを左へ。江戸時代、恐らく右側は崖、その下は海岸だったと思います。
因みに反対側には「一文字地蔵」と「御本尊地蔵菩薩」が現在残ってます。
「おんかかかびさんまえいそわか」と唱えれば願いが叶うとかw
では「オランダ坂」へ戻ります。石畳とセメントが半々になってますねw
左へ。階段の下に船頭さんが乗った小舟が見えますねw
下から。因みに一番上はカフェになってます。
江戸時代、海の入り江だった証拠に、この電車通りは暗渠(あんきょ)になってます。
少し離れたとこから見ると、御覧の様に川が流れ込んでいます。埋め立てや護岸工事でだいぶ流れが変わりましたが、この川は新地中華街の前に出て、出島前から長崎港まで流れていますよ。
余談ですが平成22年、ここで「オオウナギ」が発見されたそうです!まだいるカモw
電車通り反対側から撮影。丸山遊女が下りてきて、小舟に乗り込んでるイメージが湧くと思います。丸山オランダ坂と呼ばれていた理由が分かりますね。
たぶんこの辺は浜辺というよりは、淡水と海水が合わさる河口で、潮の満ち引きが大きかったんだと思います。
余談ですが、この近くにある長崎の象徴的存在である商店街は「浜の町」と言います。
そっから来てるんでしょうね。
そして小舟に乗り、入り江を進んで出島へ。今日もお仕事頑張りましょう。
⇧写真は出島、カピタン部屋にある日本人形で江戸時代を再現した様子。
遊女が特別に出入り出来た階段も見れます。
是非、見に行かれて下さい。
丸山オランダ坂 が出来た「鎖国時代」は南蛮船入港禁止決定の1639年(寛永16年)から1854年(嘉永7年)の215年間。
活水オランダ坂 東山手オランダ坂 が出来た「居留地時代」というのは、米・蘭・英・露・仏と修好通商条約を結んだ1858年(安政5年)から1899年(明治32年)の正味41年間を指すそうです。
現在は2020年。想像できそうで想像できないですねw
でもそんな時代のモノが未だに使われてるなんてスゴイです。
東山手オランダ坂 なんて車がバンバン走ってますw
無造作にセメントで埋めたり、石畳を廃棄したり…なんて事はもうやめなきゃあいけませんね。
以上、「長崎 3つのオランダ坂 を見比べよう!」でした。
今回も見てくれた皆さん、ありがとうございました。
また色々やってみます。
松浩G